2013年3月11日月曜日

あれから2年

キルヒベルグでの最後の日々は瞬く間すぎて行き、このブログをオーストリアの地で書くのも今日で最後です。

そして今日は3月11日。多くの日本人の人生を変えたあの地震から2年間がたちました。日本ではもちろんのことだと思いますが、こちらでも先週あたりからテレビ番組や新聞で日本のことが話題になっています。

先週の水曜日に4時間にもわたる番組をやっていたみたいなのですが、私のペンションではそのチャンネルを受信することができず、残念ながら見ることがでませんでした。

外から見た日本の現実に興味があったので、見られなくて本当に残念でした… でも、後日その番組を見た友人が、津波の危険をを放送で市民に知らせ続けため、最後自分自身が津波にのみ込まれてしまいしまった人物に心を打たれたと言っていました。

また新聞では「日本、過去の汚点として忘れ去りたい」という見出しで福島の避難区域の住民の姿を取り上げていました。プレハブ住居に住む住民。市の除雪車も来なくなったその場所で、外で雪かけをしているのは年老いた男性たち。今まで一緒に住んでいた息子、娘家族は他の地に移り住み新しい生活を始めている。取り残された老人たちは自分たちの家に戻りそこでまた長年続けてきた生活に戻る日を夢見ている。だが、そこに戻り、また作物を育てたしても、買ってくれる相手がいないという現実がある。

ざっとこのような内容でした。また今日スクールに行った時、他の新聞では原発の周辺で80,000人もの人が癌になった事がつづられていたと教えてくれました。このような結果になったのも政府が次から次へと間違った決断をし、公に真実を教えなかったからだと言われます。

確かにそうです。こちらの人が言うことの言い分も良く分かります。もちろんその過去から学び2度とこのような悲劇を起こさなように(地震は逃れようがありませんが)しなければいけないと思いますが、どんなに過去の失敗を掘り返しても、起きたことはもう変えられません。

なので私はあの地震を境に日本全国の皆が感じた、今まで当たり前に感じていた生きることの喜び、幸せ、家族や友達の大切さ、隣人を助ける優しさ、被災した方々の気丈さ、日本がこの最悪な事態から学んだ当たり前かもしれないけれど、とても大切なことに目を向け、今日もこうやって楽しく生きていることに感謝をしたいと思います。

地震とはまったく比べものにならない私事ですが、私は今シーズン、キルヒベルグでまた「人」の大切さを心の底から感じました。

怪我をした私の周りにいてくれた皆のおかげで、最悪なはずのシーズンがこんなにも楽しいものになりました。そしてお別れを言うたびに、その皆がわたしのそばにいてくれ、支えてくれたことへの感謝の気持ちが涙とともにこみ上げてきます。

そんな「人」の優しさに、生きていられる喜びに、2年たった今日、改めて感謝したいと思います。

2 件のコメント:

pensionar さんのコメント...

楽しい時間も辛い時間も同じように流れていきます。その時間の流れの中で人は様々なことを経験して生きていますが、今回の辛い時間にYuriさんが経験したことを、これからの人生に生かしていただきたいです。再会を楽しみにしています。

yuri_in_kirchberg さんのコメント...

Pensionarさん、

ありがとうございます!今回怪我をしていろいろと考えさせられます。

辛いときほど、人間いろいろ考えるんだなと思いました。

いつも応援してくださってありがとうございます!